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【再掲】ぼくのなつやすみ…の想い出(夏休みの友)

今日で夏休みも終り。

 

自慢ではないが、小学校~中学校(多分高校も含めて)の間、この日以前に夏休みの宿題が完了していたためしは、ただの一度も無い。

 

そんな私が言うのもナンだか、「夏休みの友」が配られると、何やらウキウキ気分になる。何度もパラパラとめくって中身を見るのだが、「さー夏休みだよ~、頑張ってボクと遊ぼうね~!!」と語りかけてくるような気になってくる…その時点では。

 

あっと言う間に片付きそうなものや、個人的に興味のありそうなものは、かなり前半に苦も無くやっつける。「おーっ、このペースだと、相当早く宿題が終わってしまうぞ。ま、残りはじっくりやっつけていくか。」とほくそ笑むのを最後に、宿題の進捗は著しい鈍化傾向に突入する。

 

残っているのは、面倒くさいものや興味の薄いもの、要するに嫌なものを後回しにしているわけだから、手をつけるのが段々と億劫になってくるのは当たり前過ぎるぐらい当たり前。敢然とページを開くが、「なんだよコレ、面倒くさそうだなぁ。よし、明日、万難を排して決行しよう!! そして… 今日は遊ぼう!!」…こういう日の連続が始まる。

 

やがて、あんなに固く友情を誓い合った「夏休みの友」は、悪魔の権化の如く私を苛(さいな)む。「ハヨ終わらせんか~い…」と。あまつさえその頃になると、「読書感想文」や「ポスター書き」などと云う仲間を連れてやってくる。もはや、「夏休みの友」は私の友などではなく、「夏休みの宿題の友」としか思えない。むしろ敵である。

 

かくして夏休みの最終日、「夏休みの友」はただ埋めるだけ、ポスターと称した「抽象画」を描き、いつか読んだことのある本の内容を思い出して原稿用紙に「あらすじ」を書く。その他細かい宿題も出たような気はするが、そんなことぁ知ったこっちゃない。

 

小学校の5年生までに、少なくとも5回こんなことを繰り返せば、「夏休みの友」が如何に優しい顔をした悪魔であるかを学習しそうなものであるが、果たして6年生の夏休み直前にそれが配れると、凝りもせず彼と固い友情を誓う、アホな私であった。

 

それでも夏休みは楽しい。

 

 

 

 

 

(このエントリーは、2009年8月31日18:02 オリジナルエントリーを再掲したものです。)

 
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【再掲】ぼくのなつやすみ…の想い出(盆踊り)

早くも、夏休み半分経過。

 

なんだかここを過ぎると、夏休みの残り日数が加速的に減っていくような気がして少しさみしい気持ちになる頃。

 

だいたいその頃に、地元最大のビッグイベント=「盆踊り」が開催される。私が子供の頃には、2日間にわたって多くの人手を見ることが出来、ちょっとした出店などもあってけっこうな賑わいであった。

 

それが今では一日限り。地域の自治会などがテント二つ分くらいのスペースで飲み物やカキ氷を売る程度で、以前に比べればやや物足りない感は否めない。

 

それでも、この市内屈指の少子高齢化地域であることを考えれば大健闘。ご覧のとおり、けっこうな賑わいである。

 

 

 

 

再び話は子供の頃へ。

 

盆踊りの「日程確認」は、入念の上にも入念に行われる。友達との間で、何度「盆踊りって〇〇日やんなぁ??」という会話を交わすか分からないほどに。

 

いよいよその日が来ると、まずは母親に「特別ボーナス」をねだる。その後誘い合わせた友人と、一路盆踊り会場である小学校へ。

 

「盆踊り」といって別に本当に踊りを楽しみに行くわけではないから、会場についてみると案外手持ちぶさただったりする。仕方なく、支給されたボーナスの使い道を探しに、いくつか並んだ出店をウロつき、結局は決まってアイスクリームを買い、店のオッサンと適当な会話を交わして勢いをつける。

 

結局は、何をするともなくウロつくばかりなくせに、「いよいよ最後の踊りです!!」とアナウンスが入ると、なんとも切ない気分になる。年にたった一度、親の同伴無しで公然と友達同士の夜遊びが出来る日が、間もなく終わってしまうと。

 

 

計画住宅団地であるこの地域には、「村の鎮守のお祭り」のようなものはないから、盆踊りは「お祭り」を兼ねている。

 

高校の頃からだろうか、あまり関心も無くなり、盆踊りにもしばらくご無沙汰してしまう時期を経て、子どもが出来る頃になると晴れて盆踊りへの復帰を果たす。

 

誰も似たような事情らしく、最近では、すっかりオッサン・オバサンになった懐かしい顔との邂逅もまた、一つの楽しみになっている。

 

 

こういった行事を、何くれと無く継続して頂いている主催者方々には、本当に感謝するばかりである。

 

(このエントリーは、2009年8月9日22時35分 オリジナルエントリーを再掲したものです。)

 

 

 

【再掲】ぼくのなつやすみ…の想い出(プール開放)

夏休みも四分の一が終わってしまった。何やら、梅雨も明けない間に…

 

子どもらに、「ざまぁ見ろ!!」と言おうとしたが、日がな家の中でゴロゴロしてるだけなので、天気の良し悪しは関係無いらしい。

 

 

さて再び、私が子どもの頃にタイムスリップして…

 

朝のラジオ体操から戻り、朝食~宿題(やってるフリ)~夏休み子ども劇場と、家でのルーティンが一段落すると、いよいよ表へ。蝉の声に追い立てられる様に、家から弾け出る。特に何をすると決まっているわけではないが、家を出る前、「プール開放」の時間だけは抜かりなくチェックする。

 

そう、「プール開放」もまた、夏休みムードを演出する欠かせぬ行事の一つで、大いに楽しみだった。

 

今想えば、プールっていったい何があんなに楽しかったのか。暑い盛りの冷たさが嬉しかった?? それも一つだとは思うが、「10分間の休憩」が解けた直後の、あの異常なまでのテンションの高さと言えば、とてもそれだけが理由だとも思えない。

 

もちろん、プールの端から端を競泳選手のごとく泳ぐわけではない。そんなやつぁ逆に迷惑なくらいだ。ただ、「バシャバシャ」と…何をやっていたのだろう?? とにかく楽しかった。

 

1時間程度の割り当て時間が終わると、他の地区と入れ替わり。さんざ自分たちは遊んだくせに、それでも「今からの1時間」プールを独占するやつらが羨ましくて、「〇〇くんがプールの中でゲロを吐いたから入らんほうがええぞ!!」などと、タチの悪いうそを言う。

 

 

家に帰ると、「水泳は一番体力を使うから」と、一時間の強制昼寝が命じられ、しばし外出禁止となる。今なら買ってでも昼寝したいくらいだが、当時の強制昼寝はもどかしくて仕方が無かった。年に一回しかない貴重な夏休みの時間を、「浪費」しているような気分だった、どうせ眠りもしないのに…と。

 

 

「プール開放」も、前回の「ラジオ体操」同様その期間は随分と減っているらしい。理由もだいたい同じようなことのようだ。

 

ラジオ体操にしろ「プール開放」にしろ、よそのおっチャン・おばチャンに見張られ…否、見守られ、地域が共同体であることを漠然とではあるが、カラダに刷り込まれていったのはこういう機会を通じてではなかったかと改めて思う。

 

ちなみに、私は一度、本当に一度プールの中でゲロを吐いたことがある。

 

 

 

 

 

 

(このエントリーは、2009年7月31日12:51 オリジナルエントリーを再掲示したものです。)

 

【再掲】≪戦前のラジオ体操ボルトオン≫ぼくのなつやすみ…の想い出(ラジオ体操)

 

夏休みと言ってまず想い出されるのが、「ラジオ体操」。

 

学校の授業以外だったら何をやっても楽しくて仕方が無かった幼少の頃、そんな楽しくて仕方の無い部分だけを切り取って、「どうぞ好きなだけ…」と、夏休みは言ってくれているようだった。

 

夏と云う季節がまた、持て余しそうなほどたっぷりとある時間を埋めるに十分な、数多(あまた)のモノを授けてくれる。虫捕り、海水浴、花火、盆踊り、甲子園大会…挙げればキリが無い。

 

「その代わりに…」と、やはりこの時期だけの特別な修行があった。「ラジオ体操」である。

 

今も昔も、朝の弱い私には、まさに「修行」であった。学校のある時期より早起きをして近くの公園に集まる。ラジオから聞こえる、「全国の皆さん、おはようございま~す!!」という、むやみにテンションの高いオジサンの声には本当に辟易とした。

 

今思えば、体操の前に行われる儀式、「あーたーらし~いあーさが来た…♪」の歌斉唱には、終戦によって「一掃」されたはずの戦前の香りがほのかに漂っていたような気がする。きっと気のせいだろう。

 

 

 

ラジオ体操第一は学校でもいやというホド実践させられるので、苦も無くこなすのだが、第二については何やら斬新なテンポと動きに戸惑い、前で手本を示すおニーさんの動きをよく見ていないとついていけない。いや多分、よく見ていてもついていけていない滑稽な様であったに違い無い。

 

ようやく修行は終り、首からブラ提げたカードにハンコを押してもらう。これにて本日は「解放」。帰りの道すがら近所の子らと、「夏休み子ども劇場」を見終えたあと、集合は何時にどこかを打ち合わせ、帰宅。このときいつも、「やっぱり嫌なことは先に終えとくもんだ!!」と、深々と実感しながらも、これが学習効果となって以降の生活ぶりに活かされることは無い、残念ながら。

 

聞けば最近では、申し訳程度に夏休み中のどこか1週間ほど、朝のラジオ体操は実施されている程度だということらしい。曰く、親も子も何かと忙しいから、だとか。

 

夏の朝6時台には、「今日もまた暑くなってやるぞ」と意気込みながらも、かすかな涼風が肌を撫でて通り過ぎる、独特の空気感があった。いや、きっと今でも変わりなくあるのだろうが、それは、朝の「ラジオ体操」への往来で感じるものと決まっている。私の中では。

 

 

 

(このエントリーは、2009年7月21日20時21分 オリジナルエントリーを再掲したのものです。)